国民的キャラクター“アンパンマン”の生みの親として知られる、漫画家であり絵本作家のやなせたかしさん。
その成功の陰には、妻である暢さんの献身的な支えあったと言われています。
この記事では、やなせたかしさんと小松暢さんの感動的な馴れ初めから、アンパンマン誕生の背景にある夫婦の物語までを詳しくご紹介します。
サイトーさん
こんにちは(*˘︶˘*)
色んな書籍の中にやなせたかしの絵本たくさんありました😌
思わず見入ってしまった📕
元気パワーもらえました🤗
ありがとうございます✨
午後からもhappyな一日を☆。.:*・゜— おりちゃん@ブログ初心者 (@bysao0113) October 16, 2025
Contents
やなせたかしさんと小松暢の結婚馴れ初めは?

終戦直後の混沌とした高知で、ひとつの出会いが生まれました。
場所は高知新聞社の編集部。カタカタとタイプライターが鳴り響く職場で、二人の距離は少しずつ縮まっていきます。
先に入社していたのは暢さん。
その数か月後、やなせさんが同じ編集部の扉を開けました。
デスクを挟んで向き合う日々。最初はただの同僚として、やがて仕事仲間として、そして気づけば、お互いを深く理解し合う特別な存在へ。
尊敬の念が、いつしか恋へと変わっていったのです。
出会いから約1年後、二人は東京で新しい生活をスタートさせることになります。
劇的な展開はなかったけれど、同じ志を持つ者同士が寄り添う、そんな静かで確かな愛の芽生えでした。
恋が動き出した瞬間
やなせさんは、控えめで自信の持てないタイプだったと言われています。
暢さんに心を奪われた理由は、はっきりしていました。
- 仕事への真摯な姿勢
- 明るく前向きな行動力
- 編集者としてのしなやかな強さ
一方の
そんなある日、暢さんのもとに別の男性からの求婚話が届きます。
暢さんは、まるで本心を確かめるように尋ねました。
「どう思う?」
その問いに対する不器用な答えを聞いた暢さんは、思い切った言葉を投げかけました。
「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」
その一言が、男心に火をつけたのです。
この有名なエピソードは、二人の関係の本質を物語る、象徴的な場面となりました。
結婚という選択(1947年)
二人が結ばれるまでの道のりは、決して駆け足ではありませんでした。
出会いから1年ほど経ち、暢さんが東京の職場へ移ることを決めると、彼女の後を追って上京します。
そして訪れた結婚の瞬間も、華やかさとは程遠いものでした。でも、だからこそ心に染みる物語なのです。
ある日、暢さんが受け取った賞金でささやかな食事をしていたとき。
やなせさんが静かに、でも真っ直ぐにプロポーズの言葉を紡ぎました。
高級レストランでもなく、ダイヤの指輪もなく。
けれどそこには、二人だけの温もりが、確かに存在していました。
小松暢のプロフィール
暢さんの父親は、当時の日本最大級の総合商社といわれた鈴木商店に勤務していました。
その影響で、暢さんは幼い頃から毛皮のコートを着るなど、裕福な生活を送っていたそうです。
1988年とある新聞のインタビューを受けたとき、人生を顧みて思うところがあるかと質問されました。
そのとき暢さんは、にっこり笑ってこう答えたそうです。
「そりゃあ振り返ることもありますけど、戻れるわけじゃありませんもの。だから、前を向くしかないんです」
(出典:高知新聞)
なんとも暢さんらしい、明るく前向きな一言です。
表舞台に立つことは少なかったけれど、暢さんの存在は人生に欠かせない静かな支柱でした。
最初の結婚と戦争の悲劇
やなせたかしさんと小松暢の子供は何人で離婚や不倫も調査!

結婚した二人が選んだ新居は、お世辞にも素敵な新婚生活とは言えない物件でした。
物件スペック(悲)
- お風呂:ない(銭湯が生命線)
- トイレ:共同(しかも屋根に穴あいてる)
- 階段:一部欠けてる、手すりは触るな危険レベル
そう、いわゆる3つの欠点です。
でも、暢さんはそんな環境でも笑顔を絶やさなかった。
むしろ彼女の明るさが家全体を照らして、創作に打ち込める”基地”を作り上げたんです。
暢さんの役割は、もはや家庭内プロデューサー。
- 原稿や資料の整理整頓
- 家事全般
- 夫の髪まで切る
やなせさんが創作に没頭できたのは、間違いなく暢さんがいたから。
彼女なしでは、アンパンマンも生まれなかったかもしれません。
アンパンマンが飛び立った年に、暢さんは倒れた
1988年【それいけ!アンパンマン】の放送がスタート。
ついに全国に届き始めた、その年に暢さんは乳がんと診断され、余命3ヶ月を告げられました。
必死の治療で一命は取り留めたものの、体調は思うように戻らず。
そして1993年11月、やなせさんの手を握りながら、静かにこの世を去りました。
暢さんは生前、こんなことを言っていたそうです。
「あの人、子どもっぽいから置いていけない」
創作のことになると周りが見えなくなるやなせさん。
暢さんは、自分がいなくなったあと、この人はちゃんと生きていけるのか、仕事を続けられるのかを、ずっと気にかけていました。
料理も、掃除も、スケジュール管理も。
すべて暢さんが静かに支えていたからこそ、夢に向かって走り続けられたんです。
最期の瞬間まで、暢さんが想っていたのは未来でした。
やなせたかしと小松暢に子供はいない
結論から言うと、2人の間に子どもはいませんでした。
伝記や新聞、資料をどれだけ調べても、子どもがいたという記録は出てこない。
通説としても、二人に実子はいなかったとされています。
多くのメディアや伝記でも同じ見解が示されていて、子どもがいなかったことが、二人が創作活動や共同生活にすべてのエネルギーを注いだ背景の一つとして語られることもあります。
暢さんだって、子どもを望んでいなかったわけじゃない。
でも、その願いは叶わなかった。
それでも暢さんは、影から支え続けたんです。
子どもはいなかったけれど、そこには誰よりもあたたかくて、愛情に満ちた夫婦の姿がありました。
離婚や不倫の噂は?
芸能ニュースを見れば、離婚だの不倫だの騒がしい話ばかり。
でも、お二人の間には、そういう話が一切ないんです。
新聞記事も、伝記も、メディアのアーカイブも調べたけれど、離婚歴ゼロ、不倫の噂ゼロ。
これって、二人の関係が表面的な波風に揺らされることなく、内側からしっかり築かれていた証拠ですよね。
じゃあなぜ、二人の間にはそんなトラブルが生まれなかったのか。
答えはシンプル。お互いをちゃんと理解して、ちょうどいい距離感を保っていたから。
暢さんは、創作に口を出さなかった。
いつも”一歩下がって支える”スタイル。
言葉は少なかったけど、暢さんの価値を周囲にちゃんと伝えていた。
感情をぶつけ合って派手に喧嘩するんじゃなくて、理解と信頼でお互いを補い合う。
そんな大人の夫婦だったから、スキャンダルなんて生まれる余地がなかったんです。
やなせたかしさんと小松暢の結婚馴れ初めは?子供は何人で離婚や不倫も調査!まとめ

やなせたかしと小松暢さんのその結婚はドラマティックな劇場型の恋物語ではありませんでした。
派手な事件や浮名はなく、出会い→交際(約1年)→上京→結婚→苦労を分かち合うというシンプルな道のりが、結果的に長い共同生活を支えました。
数字で整理すると、出会いから1年で結婚、住まいは最低限の設備(お風呂なし・共同トイレ等)、子どもはなし。
しかしその“質素さ”の裏で、二人は互いにとって不可欠な存在となり、創作は暢の影の支えによって花開いたといえるでしょう。


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