今回は【オトノケ】歌詞のジャンプ作品は何か、ダンダダンからわかる意味を考察していきます。
【オトノケ】歌詞のジャンプ作品は何?
2番歌詞には、ジャンプの有名作品が巧妙に隠されて詰め込まれた状態で登場しており、知っている人が聴けば気づける仕掛けがされているのです。
各漫画の世界観がさりげなく歌詞に織り込まれていて、ラップのR-指定さんの表現方法の巧みさでセンスが光る楽曲となっています。
今日も賽の河原ど真ん中
積み上げてくtop of top
鬼とチャンバラ
the lyrical chainsaw massacre
渡る大海原
鼻歌singin’ sha-la-la
祓いたいのなら末代までの札束
“今日も賽の河原ど真ん中”というフレーズは、どれだけ頑張っても成果が見えないように感じる瞬間を表現。
そんな状況でも「top of top」を目指して努力を積み重ねる姿勢はまさに『ジャンプ作品』の象徴とも感じられますが、ここはヒロアカをイメージしているという説もありました。
続く歌詞には、『ダンダダン』以外のジャンプ作品のイメージを彷彿とさせる表現が登場します。
まず、“鬼とチャンバラ”は『鬼滅の刃』を連想させ、鬼との激しい戦いを象徴しています。
“the lyrical chainsaw massacre(叙情的なチェーンソーぎゃくさつ)”は『チェンソーマン』の過激な戦闘シーンの雰囲気を思わせ、破壊的ながらも美しく描かれる独自の世界観が垣間見えます。
“渡る大海原”は『ONE PIECE』を指し、広大な冒険の世界を感じさせる一方、“祓いたいのなら末代までの札束”は『呪術廻戦』を連想させ、呪いを祓うための手段とその代償が暗示されています。
“鼻歌singin’ sha-la-la”というフレーズは、『NARUTO-ナルト』のOPテーマだった、いきものがかりの『ホタルノヒカリ』のサビと共鳴しています。
また、“シャマラン”はホラー映画で有名なM・ナイト・シャマランを指し、驚きと恐怖をもたらす存在として、音楽の中で新たな怪異に出会うような強烈なインパクトを与えることを暗示しているかのようです。
これらの表現は、漫画の中でキャラクターたちが異世界や恐怖と向き合うように、音楽もまた聴き手をその世界に引き込み、未知の体験に翻弄させる力を持っていることを感じさせます。
“賽の河原”は、この世のものでなくなった子どもが三途の川の河原で過ごす場所とされ、父母への供養として積み上げる小石の塔が鬼に壊されてしまうことから、『無駄な努力』を象徴する言葉としても使われます。
オトノケの賽の河原ってぬーべーか幽遊白書のことかと思ってるんやけどどうなんやろ
— 100日後にvalo上手くなるテブナン (@tebunann) November 5, 2024
【オトノケ】歌詞のダンダダンからわかる意味を考察!
『ダンダダン』は「少年ジャンプ+」で連載中の龍幸伸の人気漫画が原作で、幽霊を信じる女子高生のモモとUFOを信じるオカルトマニアの同級生・オカルンが共に怪奇現象と戦う青春オカルティックバトル作品です。
さっそく歌詞の意味を見ていきましょう。
ダンダダンダンダダンダンダダンダンダダン…
諦めの悪い輩
闘志や執念を象徴しているかのように、冒頭でダンダダンとリズムが続きます。
“諦めの悪い輩”は、どんな困難があっても折れない心を表しており、ジャンプ作品らしい「諦めない精神」を反映しているかのようです。
ここのフレーズでは、困難や敵が立ちはだかっても自分の信念を曲げずに前進するキャラクターたちの姿勢を強調しているとみて取れます。
アンタらなんかじゃ束なっても敵わん
ここの強いフレーズには、自分を貫く姿勢がにじみ出ています。
これは、集団に流されず、自分の信念を貫く強さでしょうか。
くわばらくわばらくわばら目にも止まらん速さ
ここでは、不吉なことが起こらないように祈る日本の伝統的な言葉です。
ここでの歌詞では、呪いや恐れに立ち向かい、己を奮い立たせる場面に重なります。
ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ
必死で這い出た先で霧は晴れた
このフレーズでは、怪異や不安な状況に捕らわれ、そこから抜け出そうとする懸命さが表現されているかのようです。
登場人物たちが暗闇の中から這い出して、ついに霧が晴れる=解放や成長の瞬間を迎えるという意味が込められています。
この描写は、困難を乗り越えた先にある希望を象徴しているのではないしょうか。
ココロカラダアタマ
みなぎってゆく何だか
ここのフレーズでは、全身全霊で生きていることを示唆しており、恐怖を越えた先に得られる自己の一体感や充実感が描かれています。
背中に今羽が生えたならば
暗闇からおさらば
飛び立っていく彼方
“羽が生える”という表現は、困難や恐怖から自由になり、飛び立っていく力を手に入れたことを意味しているかのようです。
暗闇から解き放たれた後、成長して前に進む姿勢が強調されています。
足元に今花が咲いたならば
暗闇からおさらば
飛び立っていく彼方
この部分では、再生や新たな始まりが暗示されているのではないでしょうか。
“足元に咲く花”は、困難を乗り越えた場所に新しい生命や希望が生まれる象徴として表されています。
何度だって生きる
お前や君の中
瞼の裏や耳の中
胸の奥に居着いてるメロディー、リズムに
ここでは、たとえ絶望の淵に立たされても、再び立ち上がり、新たな人生を歩む力強さが感じられます。
ここの最後の歌詞からは、怪異や恐怖の中でも自分らしく生きる、諦めない、というメッセージが込められていると思いました。
全体的な歌詞を通して、「心の奥にある痛みや悲しみを乗り越える強さ」といったテーマが垣間見えました。
『ダンダダン』の登場人物たちは、幽霊やUFOといった異形の存在と出会いながらも、そこから逃げずに立ち向かい、絆を深めていく過程が描かれています。
『オトノケ』の歌詞もこのように困難を受け入れ、共鳴を通して乗り越える姿勢が反映されています。
まとめ
今回は【オトノケ】歌詞のジャンプ作品は何か、ダンダダンからわかる意味を考察してきました。
歌詞の中で描かれる共鳴や絆、疾走感溢れるリズムといった要素は、ジャンプ作品で描かれるテーマと見事に重なり合い、『ダンダダン』の世界観をさらに深めています。
怪異をアニメの物語とリンクさせたこの曲は、まさにCreepy Nutsらしい発想の賜物です。
音楽が持つ“怪異”の力がリスナーの心と共鳴することで、現実世界で味わえないような感覚を与える点が際立っています。
これはまさにジャンプ作品に登場するキャラクターたちが異世界や異形の存在と触れ合う感覚と重なり、聴き手の心に深く響きます。
歌詞のジャンプ作品は何か、ダンダダンからわかる意味を最後までお読みくださりありがとうございました。
コメント